History
● 長尾支団の沿革
長尾村の当時(戦前)は、消防組と称し、ハッピ姿でとびを持ったスタイルであった。消防器具も手押ポンブ、俗称ガッチャンポンブと呼ばれた品物であった。
太平洋戦争の始まる頃より警防団と改め、訓練も軍隊的教育が導入され、国家総力戦における銃後の守としての一翼を担うようになった。器具も消火ポンブの外、火叩、バケツ、担架等まで動員されるようになった。服装も軍隊式となり、国民服、戦闘帽、ゲートルスタイルと変わり、爆弾、消夷弾等による火災(火叩、バケツリレー)救急(担架)等の訓練に及び、男子不足の為、婦女子までもこの活動、訓練に動員されるようになった為、この指導等も其の任務となり、戦争苛烈に及ぴ夜間の警戒にも当るようになった(燈火管制)。最後には、竹槍訓練へと運んだものである。
終戦後、消防団と改称され、暫時近代式装備を整えるようになり、神戸市合併後、一挙に装備、服装共に近代的消防団となり、機動力をもった姿となった。訓練内容も又、近代的となり、消防、水防、救急、警戒等多様に及んでいる。又、男子青壮年者の農外労働に従事する人が多くなり、昼間における動員数補充的意味から、昭和44年には婦人消防隊が編成されている。
(「長尾百年」誌より)
明治27年1月 | 消防組を設置。 |
明治33年1月 | 消防組を青年交友会に受け継ぐ。 |
明治43年7月 | 長尾村公設消防組となる。(上津中組、上津東組、宅原組の三部編成 組頭1名、小頭3名) |
昭和14年3月 | 長尾村警防団となる。 |
昭和21年7月 | 長尾村消防団となる。 |
昭和30年10月 | 長尾村神戸市に合併。神戸市兵庫区長尾町となる。同時に神戸市長尾消防団に改称、兵庫消防署管轄下となる。 |
昭和31年4月 | 長尾消防団は5箇分団編成となり、第一分団から岩谷地区が第四分団として分離独立。 |
昭和48年8月 | 北区誕生。兵庫消防署北神分署が北消防署に昇格。北消防署管轄下となる。 |
昭和57年9月 | 長尾消防団、第9回 兵庫県消防団消防操法大会・小型動力ポンプの部で優勝。全国大会へ。 |
昭和58年10月 | 北区内8消防団を統合。神戸市北消防団長尾支団となる。 |
平成3年12月 | 第一分団、広報紙「とんぼ」創刊。 |
平成4年秋 〜平成5年春 |
長尾町および周辺地域で不審火による火災続発。連夜の特別警戒を実施。 |
平成7年1月 | 17日午前5時46分震度7の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)発生。 長尾支団激震地長田区へ出動。3か月間に渡り婦人消防隊とともに被災者の救援活動を続ける。 |
平成11年7月 | 第一分団広報「とんぼ・インターネット版」としてホームページを開設。 |
平成11年11月 | 「長尾防災福祉コミュニティ」結成。 |
平成13年6月 | 第一分団広報紙「とんぼ」、「長尾防災福祉コミュニティ」とともに神戸市の広報TV番組「神戸リポート」のなかで紹介される。 |
平成14年1月 | 「長尾防災福祉コミュニティ」優良自主防災組織として、県知事表彰を受ける。 |
平成15年4月 | 「長尾支団ホームページ」開設。(第一分団広報「とんぼ・インターネット版」閉鎖) |
平成16年4月 | 長尾支団、長尾防災福祉コミュニティ、長尾婦人消防隊が共同して、長尾町のホームページ「長尾どっとねっと」開設。 |
平成19年1月 | 本サイト「長尾どっとねっと」が、第11回防災まちづくり大賞(総務省消防庁他主催)の[情報部門・優良事例]に選ばれる。 |
平成19年4月 | 神戸市消防団活動服更新 |
平成19年6月 | 長尾支団のホームページ広報活動が27日付神戸新聞で紹介される。 |
平成21年3月 | 北消防団長尾支団として「FAST(民間救急講習団体)」に登録。 |
平成22年12月 | 条例・規程の改正により長尾支団の団員定数 110名から105名に減員となる。 |
平成23年7月 | 長尾支団としてはじめて、女性消防団員2名が入団。 |